雑木の庭

庭仕舞いを愉しむ

ゆっくりと、自然に還す庭へ。

植物と過ごした半世紀。そして引き算の庭づくりへ。
里山に隣接する庭から、日々を綴ります。

庭仕舞いとは

自然に還る庭

庭仕舞い――それは、庭との関わり方を見直す選択です。

アーチの薔薇、壁面のクレマチス。年齢とともに、その手入れが少しずつ遠くなっていきました。

無理をせず、自然に委ねる。それが里山に隣接するこの庭で、私が辿り着いた答えです。

手放すことで、庭は豊かになる

手放すことで豊かになる庭

手間のかかる園芸種を減らし、山野草と雑木を主役に。手放すことで、庭に静かな豊かさが生まれました。

春の芽吹き、夏の緑陰、秋の紅葉、冬の枯れ枝。有りのままの姿が、最も美しかった。

なぜ、雑木の庭なのか

お手本は、すぐ目の前にありました。隣接する里山です。手入れをしなくても、春には山桜が咲き、夏には木陰が広がり、秋には錦の紅葉が山を彩る。

落ち葉は土に還り、種は風に運ばれ、光と水だけで命が循環する。

管理を少しだけ自然に委ねる。この庭も、そのしくみに寄り添えばいい。そう気づいたとき、雑木の庭という選択が見えてきました。

荒地から雑木の庭へ

第1段階

荒地との格闘

この土地は硬い粘土の層で、大きな石がゴロゴロ入っていました。深さ10cmの穴を1つ掘るのにもシャベルを何回も踏み込みました。掘り出した石を集めたら、ロックガーデンができるほどの量でした。

開拓期の様子

1999年ごろ

第2段階

花々で彩る日々

バラ、クレマチス、宿根草。毎日の水やり、剪定、病害虫対策。忙しくも、充実した時間でした。

花々で彩る日々

2002年

第3段階

転換点

体力の限界を感じた頃、ふと山を見上げました。人の手が入らなくても美しい雑木林。そこに、答えがありました。

転換期
現在

雑木の庭へ

10数年かけてバラや花を譲り、雑木と葉物へ植え替えていきました。両親から継いだ庭木や山野草が加わり、庭は一気に豊かになりました。自然の息づかいに寄り添う庭仕事――それが私の「庭仕舞い」です。

現在の雑木の庭

2026年

手放してきたもの

花を主役にする庭

右奥:ヤマアジサイ

花を主役にする庭

主役は雑木と葉物。その中に、色味を抑えた花木と山野草が点在しています。楚々とした佇まいが、雑木の木陰に馴染みます。

園芸雑貨の買い増し

竹のホースリード

園芸雑貨の買い増し

支柱や仕切りは、剪定枝や廃材の竹で代用。買い足さない選択が、庭をすっきりさせました。

アーチと壁面仕立て

薔薇トンネルの跡地

アーチと壁面仕立て

梯子を使う作業を減らすために、植える場所を変えて低く仕立てました。

手放した後の庭

還し、返され

手作り堆肥

土に還す

落ち葉や雑草は堆肥に。土に還し続けることで、フカフカの土に生まれ変わりました。

石の小道

石を組む

掘り出した石は小道に、大きな石は土留めに。庭にあった物だから、色馴染みも自然です。

自然の防草

草で抑える

増えやすい低性植物はグランドカバーに。雑草を抑える面積が広くなると、手間がグンと減ります。

剪定枝を活かす

剪定枝を活かす

細い枝は支柱に、太い枝は堆肥枠や仕切りに。庭が用意してくれた、土に還る園芸用品です。

禅の庭

これから目指すこと

庭仕舞いの目的は、はっきりしています。


自分が高齢になった時に――

  • 手入れが困難になる場所から、先に手放していくこと。
  • 処理に困るものを、今のうちに減らしていくこと。

少しずつ始めたことは――

  • 大木は業者に委ね、低く仕立て直す。
  • 通路や外周には、長持ちする防草シートを敷く。
  • 新たな鉢、支柱、ガーデン家具は、もう買わない。

「引き算」は、未来の自分への準備でもあります。

四季折々の表情

春の庭

芽吹きの季節

山野草が一斉に顔を出し、淡い緑が庭を包みます。

夏の庭

深い緑陰

雑木が葉を茂らせ、涼しい木陰が広がります。

秋の庭

紅葉の季節

雑木が色づき、落ち葉が庭を彩ります。

冬の庭

静かな眠り

落葉した枝が冬空に映え、静謐な美しさ。

この庭の植物たち

里山に隣接する環境を活かせるよう、自然に近い構成で植栽しています。雑木が木陰を作り、下草と苔類が地面を覆い、あちこちで山野草が息づいています。

01

中〜高木

3m以上に育つ木々

庭の屋根となり、高さと木陰をつくります。

02

低木

2m以内に収まる木々

目線の高さの品種は、透けるスクリーン。歩くたびに、その先がちらちらと覗きます。

03

葉物

茎を立ち上げて茂る植物たち

葉の形、質感、色、大きさ。その変化が庭に表情を加えます。

04

グランドカバー

足元を覆い、染める植物たち

地面を覆う、グランドカバーの役割。雑草を抑えながら、足元を静かに染めていきます。

05

つる性植物

支柱や庭木に絡んで這い上がる植物たち

ふわりと色を添えて、立体的な動きを見せてくれます。

06

静かに添える花

そっと色を添える佇まい

庭は、雑木4、葉物4、花2の構成。花は静かな添え物として点在し、色は白と紫が中心。わずかに混じる赤は、原種や古典品種の薔薇たち。数十年動かせずにいる、「引き算の庭」の重鎮です。

07

受け継いだ鉢物

手から手へ、受け継がれてきた命

手から手へ、受け継がれてきた命。寄せ植えや盆栽の小さな器の中に、大きな自然の営みが凝縮されています。水をやるたび、故人の声が、ふと甦るような気がします。

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この庭で育つ植物をカテゴリ別にご紹介

プロフィール

生い立ち

盆栽好きの父と山野草好きの母のもとに育ちました。父が挿し木から盆栽を仕立てる様子を、幼い頃からずっと観察していました。

植物との歩み

10代:観葉植物で部屋をジャングルに。
20代:叔父の農園でハーブに出会い、アパートの庭をジャングルに。
20代後半:原種バラと古典品種が加わり、ジャングル拡大。

休日になると、車で片道2時間半の「双葉ばら園」へ通いました。園主は私の薔薇師匠。私は園内の品種をラテン語表記でリスト化したり、時には苗販売のお手伝いもしていました。師匠と一緒に歩く広大な花園は、仕事の疲れをリセットできる大切な場所でした。

私が交配したバラ
私が交配したバラ

地面との格闘

31歳で現在の地に家を建て、念願の「地面」を手に入れました。100鉢を超えるバラとともに、新しい暮らしが始まりました。粘土を掘り起こし、石を運び、傾斜地の階段を堆肥と一緒に上り下りする日々。手はマメだらけ、腰も痛みましたが、鉢から地面へ植物を移せる喜びが、すべてを上回っていました。

1999年の庭
1999年
2000年代の庭
2002年

転換点

40代後半、体力が変化するにつれて、自営業と庭の手入れの両立に悩むようになりました。バラやハーブを少しずつ譲り、雑木や葉物へ植え替え始めた頃、東日本大震災が起きました。

ばら園のあった双葉町は、原発事故の影響で全町民が避難となり、園主もばら園を離れることになりました。私の住む福島市は線量が比較的低く、暮らし続けることはできましたが、仕事と生活で頭はいっぱい。窓越しに庭を見ているだけの時間が流れ、庭は次第に荒れていきました。

震災後の庭

数年後、地域の除染が始まりました。私の庭も、表土と木道がすべて剥がされ、川砂が敷き詰められました。剥がした表土は庭の隅に積まれ、大きなシートで覆われたまま、長い間そこにありました。

除染後の庭
シートに覆われた土

殺風景になった庭とシートの山

毎日シートに覆われた土を見ているうちに、ある日、気持ちが急に動きました。猛烈に庭仕事をしたくなり、設計図を描き始めました。辛くなるバラを少しずつ譲り、雑木を植え、葉物を植え始めました。母と山野草店を巡り、父が盆栽から地植えに移した木も加わりました。

再生する庭

そして今、父が遺した木は大きく育ち、母の山野草は蔓延り、友人知人から継いだ植物たちも、それぞれの場所で育っています。この庭には、私の過去と、今と、この先があります。この先の時間を、移ろう庭と共に味わうこと。それが「庭仕舞いを愉しむ」という生き方です。

雑木の下に咲く白薔薇
雑木の傍らに咲く白薔薇(2026年)

ひとりの庭

自宅兼店舗で自営業を営む私にとって、庭は唯一ひとりになれる場所。五感を自然に預けて、深く呼吸できる時間です。庭仕事に没頭していると、時間はあっという間に過ぎていきます。道具を洗いながら、もう次の休日を心待ちにしているのです。

フォークとシャベル
開拓時からの同志、フォークとシャベル

このサイトについて

還暦を迎えたことを機に、このWebサイトを作りました。

庭仕事は、いつまでも続けられるものではありません。両親の庭がそうであったように、私の庭にも、いつか終わりが訪れます。

それまでの記録として。継いできた植物たちの居場所として。このサイトを、少しずつ育てていきたいと思っています。